佐倉城跡 – 江戸城の東からの侵攻を守る城郭

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佐倉城は千葉氏が築城を始めたが、当時の千葉氏の主君千葉親胤が暗殺されたため築城が中止されました。
徳川家康が関東に入り、幕府開府後の1610年に家康の命により土井利勝が江戸の東側を守る要衝として築城を再開し、佐倉藩の藩庁が置かれました。

江戸時代に佐倉藩主から老中を9人輩出していて「老中の城」とも呼ばれました。

明治維新後は、帝国陸軍の歩兵第2連隊のちに歩兵第57連隊の駐屯地でした。
現在は、佐倉城址公園として整備されています。

本丸の後です。現在はただの原っぱですが当時は本丸御殿があり、佐倉藩の藩庁として政治が行われていたようです。
佐倉城跡は天守や櫓などの建築物はほとんど残っていませんが、空堀や水堀、土塁などは当時のままでよく残っています。

馬出空堀です。
佐倉城址公園に隣接する国立博物館のすぐ脇にあります。

本丸南側の出丸跡です。ここは水堀が残っています。

出丸を城内から写しています。


佐倉城内に存在した薬医門です。
当時の佐倉城内のどこに位置していたかは不明ですが現在は本丸北の出丸に移設されています。
城址公園内で唯一の建築物の遺構です。

佐倉城のスタンプ置き場

佐倉城の百名城スタンプの設置場所です。

建物内にスタンプが設置されています。

スタンプ置き場には、城の模型も設置されています。
佐倉城にスタンプ目的で車で行く際には、くらしの植物園を目指したほうがスタンプ設置場所も近いし、城の遺構を見るにもいいかと思います。

百名城の一覧ページはこちら

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