八王子城跡 – 秀吉の北条征伐で落城し、心霊スポットとしても知られている

PR



八王子城は、北条氏の北条氏照が1571年に築城し、1587年頃にそれまでの本拠地である滝山城の防御に限界を感じて移転し、改築増強しました。
八王子城の名前は、この山に牛頭天王と8人の王子が現れたとして八王子権現を祀ったことから八王子城と名付けられ、現在の市名にもなっています。

1590年の豊臣秀吉の北条征伐で北方隊の前田利家・上杉景勝・真田昌幸らの攻撃を6月23日に受けわずか1日の戦いで落城しました。

落城の際には、北条氏照の正室など婦女子や子供が城山川の上流で身を投げたため御主殿の滝は三日三晩、血に染まったと言われています。
その悲劇から八王子城跡は心霊スポットとしても知られています。

本丸跡です。
八王子神社からさらに上ったところにあります。
10m四方程度と小さく大きな建物はなかったようです。

山頂の本丸付近からは東京都心部が一望できますが、かなり急な山道を40分くらい上る必要があり、覚悟も持って挑んだ方がよいです。

八王子城へのアクセス

八王子の市街地より山側の奥にあり、圏央道の八王子西インターと高尾山インターから車で10分くらいで、八王子城跡見学者用の駐車場があります。

百名城のスタンプ置き場所

百名城スタンプは、駐車場付近のガイダンス施設内にあります。

施設内の受付カウンターに置いてあります。

八王子城本丸跡

八王子城の本丸跡へは駐車場付近から40分くらい山道を登っていきます。
標高460mに本丸跡があるので足腰に自身がないなら止めた方がいいです。

駐車場奥にある八王子城の要害地区への入り口です。

北条氏照の重臣 金子家重が守っていたと言われる金子丸です。
尾根をひな壇状にした防御拠点だったようです。
ここまでは麓から10分くらいです。

八王子神社です。
脇にある階段を昇っていくと本丸跡へ行けます。

松木曲輪からの眺望です。
中山勘解由家範が守備していた曲輪で二の丸とも呼ばれていたようです。

小宮曲輪跡です。
朽ち果てそうな建物がちょっと不気味な感じですね。
狩野一庵が守備していた曲輪で三の丸とも呼ばれていました。
上杉景勝勢が搦手から奇襲して小宮曲輪を陥落させたのがきっかけで大手側も防衛線が崩壊し落城に到ったようです。

本丸跡です。
城の中でもっとも重要な曲輪ですが10m四方とくらいと広くなく大きな建物は無かったようです。
横地監物吉信が守備していました。
横地監物は落城寸前に奥多摩へと落ち延びました。

山頂付近からの眺望です。
写真ではわかりにくいですが、新宿副都心まで見ることができます。

御主殿跡

御主殿は、八王子城の麓にある城主の北条氏照の居住区や政務を行う施設があったとされています。

石垣と土塁で囲まれた防御施設で、周辺にあるアシダ曲輪などと組み合わせて防御力を高めていました。

虎口と呼ばれる御主殿の入り口は高低差が9mある「コ」の字になっています。

御主殿と呼ばれる曲輪には、城主の北条氏照の居館があり主殿と呼ばれる政務を執り行った建物や会所と呼ばれた宴会場などの建物などが建ち並んでいたようです。

御主殿の奥にある出入り口から降りると御主殿滝があります。
小田原征伐で豊臣勢の攻撃を受けて落城した際に上流で北条氏照の正室をはじめ、婦女子が自決し身を投げたために三日三晩にわたり御主殿の滝は血に染まったと言い伝えられています。

百名城の一覧ページはこちら

PR



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする