稲付城の概要・歴史
稲付城は、東京都北区にあり武蔵野台地の舌状の崖の突端を利用して築かれました。
築城時期は分かっていませんが、築城者は扇谷上杉氏の家宰太田道灌(おおたどうかん)と伝えられています。江戸城と岩槻城をつなぐ拠点として築城されたようです。
太田道灌が暗殺された後は、孫の太田資高が居城としていました。北条氏滅亡後に徳川家康が関東に領地替えされた際に廃城になり、静勝寺となったようです。
静勝寺付近が主郭だったようで北と東と西の三方が崖になっています。二の郭や三の郭は、南の方に広がっていたようです。
周辺で発掘調査が行われた際に幅12m、深さ6mの空堀跡が見つかっています。
静勝寺の南側の道路は、左右両側が切り立っていて堀切だったような感じがします。
静勝寺境内には太田道灌の座像を安置する御堂があります。太田道灌の命日である7月26日だったためか、毎月26日にはその姿が公開されるそうです。
太田道灌座像は平成元年に北区有形文化財に指定されています。
稲付城へのアクセス・駐車場
稲付城跡へのアクセスは、JR赤羽駅西口から徒歩5分ほどです。
静勝寺の檀家用の駐車場はありますが、城跡見学のために利用できるかは不明です。
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