杉山城(すきやまじょう) – 築城の教科書とも呼ばれ、比企城館跡群の一角を占める中世の城郭

杉山城跡の歴史・見どころ

杉山城は、埼玉県比企郡嵐山町にあり鎌倉街道の上道を見下ろす丘陵の尾根に10の郭を配置した山城でした。
各郭は横堀や帯郭で囲まれていています。
土橋などを組み合わせた虎口は、侵入方向に対して真横から矢を射かけることが出来る横矢掛りという構造になっています。
このような、高い築城技術が城跡の各所に確認できるため「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」というような評価を得ている城跡でもあります。
比企地域に点在する69か所の城館跡を合わせた「比企城館跡群」のひとつとして平成20年(2008年)に国指定史跡となっています。
比企城館跡群の他の城郭や城館跡は、菅谷館跡(嵐山町)、松山城跡(吉見町)、小倉城跡(ときがわ町)などがあります。
また、平成29年(2017年)4月6日に、「続百名城」の119番目の城郭として選定されました。前述の菅谷館跡は120番目に選定されています。

築城された時期は、はっきりしていませんでしたが近年の発掘調査により15世紀末期から16世紀初頭あたりであることが有力になっています。
以前は、後北条氏が築城した説が有力でしたが、この地域の後北条氏の進出は河越夜戦のあった1546年以降であるため、後北条氏が築城したことはほぼ否定されています。
この辺りは、関東管領の上杉氏と古河公方との勢力争いの最前線であったため、最近の研究では山内上杉氏が築城主であることが有力となっています。

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杉山城には行くには、玉ノ岡中学校の敷地内を通って向かいます。

中学校のグランドや校舎を横目に見ながら進むと土塁らしきものがドーンと現れます。

さらに進むと大手の虎口が見えてきます。
複雑な構造になっていて、横矢掛りが見受けらます。

本郭の中心部には、石碑があります。
本郭は城郭の中で最も高い位置にあります。

本郭から大手方面の写真です。
かなり急こう配になっていることが分るかと思います。
当時は塀などがあったはずですので、攻撃側にとっては攻めるには難儀したかと思います。

井戸郭内の井戸跡です。
大石によってふさがれていますが。現在も水が湧き出ていることが分ります。

杉山城のスタンプ設置場所

杉山城のスタンプの設置場所は、嵐山町役場になります。
杉山城からは南東にあり、約2.5kmの距離にあります。
小高い丘の上にあり駐車場はたっぷり用意されています。

嵐山町役場の玄関です。

玄関を入ると菅谷館の城主だった畠山重忠が迎えてくれます。
畠山重忠は、大河ドラマの「鎌倉殿の十三人」で登場しますが、十三人には入っていません。
畠山重忠のパネルの左側にスタンプがあります。

杉山城のアクセス・駐車場

杉山城へのアクセスは、はっきり言って車がベストというか、車以外は厳しいかと思います。
JR八高線か東武東上線の小川町駅から出ているバスに乗って小川パークヒルで下車して徒歩10分強で現地に到着しますが、スタンプ設置場所の嵐山町役場は杉山城から2.5km離れているため、なかなか厳しいかと思います。
駐車場は、玉ノ岡中学校の北側200mほどの距離に数十台駐車可能な無料の駐車場があります。

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