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難波田城は、武蔵七党の村山党の名族である金子氏がこの辺りを領地をした際に、居館として置いた場所です。
この辺りの地名である南畑の漢字を換えて「難波田」と名乗っています。
南北朝の頃の、足利尊氏・足利直義義兄弟の間に起きた内乱である「観応の擾乱」で当時の難波田氏の党首である難波田九郎三郎は弟の足利直義氏側につき尊氏方の高麗彦四郎経澄と難波田城から南西にある羽根倉で戦いましたが、敗れて敗死しています。
難波田城から距離も近く、籠城戦も選択肢にあったはずなのですが野戦が行われたようです。
戦国期に入ると、難波田氏は扇谷上杉氏の重臣となりましたが、日本三大奇襲戦のひとつである「河越夜戦」で後北条氏と戦い、ここでも党首の難波田憲重は戦死しています。
この難波田城は、後北条氏の家臣である上田氏が守ることになったようです。
難波田氏は、北条氏や徳川氏の家臣として存続し、旗本として幕末を迎えています。
難波田城がある難波田城公園は、2000年に開園し水堀や土塁、木橋が復元されている城跡エリアと江戸後期から明治期の古民家が集められた古民家エリアに分かれていて、その中央に難波田城資料館があります。
本丸は、ほとんどが住宅地となっていて公園の北側にわずかに本丸の一部分があります。
公園外の北側の住宅地には本丸の土塁らしいものが残っています。
城跡は、キレイに整備しすぎいて歴史的な遺構としてはちょっと微妙ですね。
毎年6月の第一日曜日には「難波田城公園まつり」が開催されています。
まつりの目玉は、鉄砲隊による火縄銃の演武です。
他にも、武者行列やはたおりや昔あそびの体験コーナーなどの催し物が開かれます。
難波田城公園には、駐車場はあります。
東側の入り口付近と、追手門から50mほど離れたところに南駐車場があり、合計で50台ほど駐車可能です。
公共交通機関のアクセスは、志木駅から出ているららぽーと富士見行きのバスの「難波田城公園南口」から徒歩で7分ほどです。
ららぽーと富士見からも、がんばれば歩けます。