忍城は、15世紀後半の室町時代中期に、武蔵国北部の土豪である成田氏が築城しました。利根川と荒川に囲まれた扇状地にある沼地や自然堤防を堀や土塁として利用した構造でした。
忍城は、何度も攻め込まれていますが、一度も落城しなかった堅固な要害です。もっとも有名な忍城の戦いは、豊臣秀吉の小田原征伐時の石田三成の水攻めですが、上杉謙信も忍城を攻撃して、攻撃に失敗しています。
江戸時代に入ると、忍城には忍藩の藩庁が置かれました。
忍藩は、川越藩と同様に江戸の北部を防衛を担い、松平氏などの譜代大名が置かれました。阿部氏が藩主の頃に御三階櫓が建設されるなど城郭改修や城下町の整備が置かれました。
城主だった成田氏は、幕府の旗本となっています。
忍城の遺構は、本丸の土塁や外濠だった沼が水城公園内の池として残っています。
本丸があった場所に、御三階櫓が復元されていますが実際にあった場所は水城公園内です。
当時は湿地帯でしたが、現在はほぼ埋め立てられて整備されていています。周辺の町の中に忍城の拠点があった場所に、「皿尾口御門跡」「長野口御門跡」「大手御門跡」などの石碑がありますので巡ってみると城の構造がイメージできるかもしれません。
続百名城118番の城として選定されました。
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・御三階櫓
元々は、水城公園の北側にあったのですが明治に忍城が廃城になった際に破却されました。
本丸跡に行田市郷土博物館につながる形で1988年にRC造りで外観のみの再現復元されています。
行田市郷土博物館から渡り廊下で繋がっていて内部を見学することは可能ですが、博物館の入場料金を支払う必要があります。
・本丸土塁跡
忍城は、明治の廃城令でほとんどの遺構が破却されたり、堀や沼地も埋め立てられています。
残っている数少ない遺構の一つが行田市郷土博物館の敷地内にある本丸土塁跡です。
一部土塁の上に白壁塀が再現されています。
1590年に起こった豊臣秀吉の小田原征伐時に、後北条氏の支城であった忍城も攻撃されました。豊臣軍の主将だった石田三成は、忍城を水攻めしわずかな期間で総延長28kmにもなる堤防を築いて、忍城を水浸しにしました。
水攻めは、低地だった忍城南部の堤根地区に水がたまったために、忍城自体は完全には水没できませんでした。堤根地区で堤が決壊するなど石田軍側にも被害が出たようです。
小田原城が降伏するまで、水攻めを耐え抜いて落城を免れています。
28km程あった石田堤は、石田堤史跡公園周辺の行田市堤根地区と鴻巣市袋地区に数百メートル程度と、丸墓山古墳の南側の数十メートル程度を残すのみで、ほとんどが破却されています。
石田堤史跡公園付近の新幹線の高架の下に、石田三成の忍城水責めの解説音声が流れる施設があります。
忍城とは、間接的に関係している遺構なので足を伸ばしてみて下さい。
忍城のスタンプ設置場所は、行田市郷土博物館の入り口にスタンプ台が設置してあります。
行田市郷土博物館に入るには、入場料が大人で200円必要ですがスタンプを押すだけなら無料です。
忍城へのアクセスは、電車なら最寄り駅が秩父鉄道行田市駅で所要時間は徒歩15分程度です。
JR高崎線の行田駅からは4kmの距離があり徒歩では厳しいですが市内循環バスが出ていて、「忍城址・郷土博物館前」というバス停があります。
駐車場は、行田市郷土博物館にあり無料です。
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