小田原城の歴史・見どころ
小田原城は、15世紀中ごろに大森氏が築いたことが始まりと考えられています。
1500年前後に伊勢宗瑞(北条早雲)が、大森藤頼から奪い取り大規模の改修・拡張が行われました。
北条氏5代にわたる居城となり南関東の政治的中心となりました。
永禄四年(1561年)に、上杉謙信が関東に侵攻し小田原城を包囲しましたが撃退しています。
永禄十一年(1568年)には、甲斐の武田信玄も相模に侵攻し小田原城を包囲しましたが、これも防ぎきっています。
天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐時には、全長9kmもある大規模な総構えが構築されていましたが、3か月の籠城の後に無血開城して、北条氏は滅亡しています。
江戸時代には、徳川譜代大名の大久保氏・稲葉氏が近世城郭に改修しています。
・馬出門(うまだしもん)
三の丸から二の丸に向かう位置にある門で、2009年に復元されました。
・銅門(あかがねもん)
銅門は、二の丸の表門で石垣による枡形と内仕切門と渡櫓門からなる桝形門と呼ばれる形式です。
写真は銅門渡櫓門です。
廃城時に解体されましたが平成9年に復元されました。
・二の丸隅櫓(にのまるすみやぐら)
二ノ丸の南東の隅に位置して、二の丸の入り口である馬出門を見下ろす位置にある防衛のかなめともいえる櫓でした。
明治に入り小田原城内の多くの建物が解体されましたが、二の丸隅櫓は城内唯一の建物として残されました。
しかし、大正十二年(1923年)の関東大震災により崩落しました。
昭和九年(1934年)に再建されましたが、石垣は地震で崩壊したため江戸時代よりも3m以上低く櫓も半分ほどの大きさになったそうです。
・常盤木門(ときわぎもん)
常盤木門は、本丸正門で渡櫓門に多聞櫓を2つ組み合わせた桝形門でした。
明治に入り廃城の際に解体されましたが、昭和46年(1971年)に渡櫓門と南多聞櫓が再建されています。
写真は、正面が渡櫓門で左に南多聞櫓です。
・天守閣
廃城後に解体され、天守台の石垣も関東大震災で崩壊しましたが、戦後に天守台の石垣の整備が行われました。天守の再建が行われるまでは天守台には観覧車があったそうです。
小田原市制施行20周年の記念事業で天守の鉄筋コンクリート造での復元が計画され、昭和35年に天守の再建が完成しています。
天守内には、天守や小田原城の模型などが展示されています。
小田原城址公園から東海道線を挟んで西側には、北条期の土塁や空堀が残っています。
小田原城の百名城スタンプ設置場所
天守1階のスタンプ設置場所です。
入館料を支払わないと立ち入れない場所にスタンプは設置されていますが、係員さんに言えばスタンプだけなら無料で押させてくれるみたいです。
小田原城へのアクセス・駐車場
小田原城へのアクセスは、JR・小田急などの小田原駅から徒歩10分の好立地です。
駐車場は、周辺のコインパーキングや小田原城址公園に隣接する二宮報徳神社の駐車場を利用するのが便利です。
北条期の土の城だった頃の土塁や空堀まで見るなら、電車を利用して現地に向かい半日ほどかけて探索するのがいいようですね。
PR