伊奈氏屋敷跡(いなしやしきあと)- 埼玉県北足立郡伊奈町

埼玉新都市交通というローカルな路線の丸山駅が最寄です。
徳川家康の家臣 伊奈忠次が関東地方の幕府天領を統治する拠点として陣屋を築きました。

屋敷の規模は東西350メートル、南北750メートルでした。
屋敷と言っても、障子堀、空堀、複数の曲輪などで構成された戦国末期の様式で築城された城郭でした。
次男の忠治が川口市の赤山に陣屋を移すまでこの地が幕府の関東支配の拠点でした。

特に目立った遺構はありませんが、裏門跡から表門跡までを歩くと空堀や土塁らしきものが散見されます。

本郭近くにある頭殿権現社です。

江戸城や川越城を築城し、扇谷上杉氏の家宰として、関東各地を転戦した戦国初期の名将 太田道灌が勧請したと言われています。
一説には、伊奈忠次が築城後に営繕したとも言われています。

沼南駅のホームから見た頭殿権現社です。
土塁の上に、鎮座していることが分ります。

丸山駅側の裏門跡付近に、城の出入り口である虎口があったことが発掘調査で確認されていて、障子堀と呼ばれる堀の中を畝で区切った形式の空堀跡も発掘されています。
裏門の堀は幅5m、深さ2m程度の規模でした。

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