船魂神社 – 源義経が立ち寄った伝説が残る函館の神社

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船魂神社は、函館市の函館山の西側のふもとに鎮座しています。
創建は平安時代の保元元年(1135年)で融通念仏宗の開祖、良人上人が起こした北海道最古の神社です。

御祭神は、
・塩土老翁神(しおつちおじのかみ)
・大綿津見神(おおわたつみのかみ)
・須佐之男神(すさのおのかみ)
です。

船魂神社の御利益は、海上安全・大漁・進路安全・開運導きです。
地元では「ふなだまさん」と呼ばれ親しまれていて、かつては、北洋、遠洋漁業団、青函連絡船の守護神として崇敬され、今日ではフェリー、作業船、貨物船、漁船、プレジャーボートなどの守護神として崇敬されています。

船玉神社の御朱印・お守り

船玉神社の御朱印は、拝殿手前左側の社務所で受け付けています。
受付時間は、8:00 - 17:00で休みは特にないようです。
初穂料は500円でした。

社務所では、お守り、お札なども授与できます。
ランドセルの形をしたお守りがあり、ちょっと珍しかったので手に入れました。

船魂神社の義経伝説

船魂神社には、義経伝説があります。
源義経は、平家追討を成し遂げた後に、異母兄の源頼朝から謀反の嫌疑がかけられ、奥州藤原氏を頼り平泉に落ち延びます。

鎌倉の源頼朝は、藤原氏に対して義経を引き渡すように求めましたが、三代目当主である藤原秀衡は、源義経を将軍として担いで、源頼朝と対抗しようとしましたが、間もなく死去しました。

四代目当主の藤原泰衡は、鎌倉からの圧力に耐えかねて源義経の居館である衣川館を約500名の軍勢で襲撃し、ここで源義経は妻子共に自害したとされるのが、一般的な歴史の見方です。

しかし、源義経は折ってから逃げて北海道を抜けて沿海州から大陸に渡りチンギスカンになったなんて伝説まであります。

伝説によれば、義経一行は津軽から渡島半島に渡る際に、海が荒れて沈没寸前のところを、船魂明神の加護により上陸することができました。
よくやく船魂神社付近にたどり着いた時に、渇きを癒すために水を探していたところ、童子神が現れ、岩を指し示しました。
その岩からこんこんと水が湧き出していたと言います。
人々はこの岩を童子岩と呼ぶようになりました。

上の写真がその童子岩ですが、現在は水は沸出てはいません。

船魂神社へのアクセス

船魂神社には、駐車場がありません。
車で行くなら、函館ロープウェイの山麓駅隣の駐車場に止めて、函館山に上るついでに船魂神社に寄るのがいいかもしれません。

船魂神社に行くおススメルートは、函館山の山頂展望台に行けるバスが函館駅から出ています。
その帰りはバスでなくロープウェイで麓まで下りてその足で船魂神社に寄るルートです。
ロープウェイ山麓駅までの坂は急こう配で昇るのは結構大変です。
降りなら比較的楽に市街まで向かえます。

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