江戸城内堀の門 – 乾門・半蔵門・平川門・和田倉門・桜田門・日比谷見附・清水門・北の丸・田安門

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・乾門

乾門は皇居の北西に位置することから名づけられた門で江戸期には上覧所があった場所です。
明治に入り、西の丸の裏門である紅葉山下門がここに移築され乾門と呼ばれるようになりました。

上覧所とは、旗本らが日ごろの武芸鍛錬の成果を将軍に披露したり「天下祭」と呼ばれた山王社や神田明神の祭礼行列が立ち寄る場所でした。

桜の季節や紅葉の季節に行われる乾通一般公開は、坂下門から皇居に入り、ここ乾門か西桔橋門跡から出ます。
西桔橋門跡は、本丸に入る通路で天守台のすぐ脇に出ます。

・半蔵門

半蔵門は「こうじまちぐち」とも呼ばれていたようで紅葉山が吹上庭園につながる門でした。
四谷とともに甲州街道の要衝として機能していました。
現在は、皇居の通用門として使用されています。

高麗門と渡櫓門の二重構造でしたが、明治期に渡櫓は撤去されて、現在は高麗門のみになっています。

深くて広い半蔵濠と桜田濠にかかる門で徳川家康が江戸に入ってすぐのころに服部半蔵とその家臣がこの付近に屋敷を構えていたので名前がついたと言われています。(諸説あり)

・平川門

平川門は江戸城の北側の門で、枡形の高麗門と櫓門の二重構造の堅牢な防御施設です。
平川門の名前の由来はこの辺りに上平川村・下平川村があったことからその名前が付いたようです。

大手門が正面玄関で、平川門が勝手口のような役割で奥女中が出入りするのに使用したとされています。
また、不浄門とも呼ばれ、城内で罪人や死者が出た際は平川門から城外に出されたようです。
忠臣蔵の浅野内匠頭も松の廊下での刃傷沙汰のあと、この門から城外に出されたようです。

平川橋を渡ると高麗門があり皇居内に入るにはここで手荷物検査を受けます。

奥にある門は、帯曲輪に続く門で帯曲輪は竹橋門につながっていました。

渡り櫓門です。

平川門は、御三家がこの門から入ったとされています。

・和田倉門

和田倉門は、当時は高麗門と渡櫓を持つ枡形の門でした。
現在は、石垣のみが残っています。
明治天皇が江戸城に初めて入場する際に通った門と言われてます。

和田倉という名は、この付近に武器庫の蔵が並んでいたからという説と、徳川家康公が関東転封時に江戸を本拠と定めたころにこの辺りに和田倉村があったからという説もあります。

門の建造は1620年に仙台藩主 伊達政宗らによって行われました。
高麗門と渡り櫓門の二重構造の枡形の防御力が高い門でしたが、現在は建築物は無く石垣のみになっています。

木橋風に見えますが昭和49年に造られたコンクリート製の橋です。

和田倉噴水公園レストランと同じ建物にある和田倉休憩所には、百名城のスタンプ台があります。

・桜田門

桜田門は江戸城の内堀の門の一つで正式には外桜田門と言います。
内堀通りを挟んで警視庁と法務省の向かいにあります。

三の丸にある桔梗門が内桜田門と呼ばれていました。

外桜田門は、高麗門と渡櫓の二重構造で高い防御力があります。

高麗門です。

高麗門と渡櫓の位置は、90度になっています。

桜田門渡櫓の城内側から撮っています。
1860年に桜田門外で大老井伊直弼が水戸浪士に暗殺された桜田門外の変が起こっています。
井伊直弼の邸宅は桜田門から西側に500メートルほどに場所ありました。

・日比谷見附

日比谷公園内の北東にある石垣が、日比谷見附(日比谷門)跡です。
当時は、枡形、渡り櫓、番所などがあったようです。

石垣に沿って、心字池がありますがこの池は元々は濠で、「心」をくずした形に似ていることから名づけられました。

江戸初期には現在の日比谷公園内に仙台藩伊達家の屋敷があり「伊達政宗公」の終焉の地でもあります。

・北の丸

北の丸は現在は北の丸公園として開放されています。
公園内には日本武道館、科学技術館などがあります。

北の丸は家康が築城した当時は、ただの竹やぶだったようですが、家光の頃に造営されました。
江戸初期は、大奥の女中の屋敷でしたが、八代将軍吉宗が三卿を置いた時から三卿の田安家と清水家の屋敷地となりました。
明治から昭和初期は近衛連隊の駐屯地として使用されていました。

日本武道館です。
武道館といいますがここで武道を見た記憶はなくコンサートで3度ほど入場した記憶がありますね。

科学技術館です。
たしか、中学の修学旅行で科学技術館に最終日に立ち寄った記憶があります。
時間調整的に、短時間だったような気がする…

北の丸休憩所です。
百名城のスタンプが設置してあります。

北の丸の内部は公園として整備されて、中にいると城跡という雰囲気はあまりないですが、外郭部は深い濠と石垣がしっかりと残っています。

・清水門

江戸城の北の丸の北東部にある門が清水門です。
北の丸を造営する前に清水門付近に清水寺があったために名づけられたそうです。

高麗門と渡櫓門の二重構造の枡形門で、高い防御力を持っています。

堀の外からの高麗門です。
門が固定されているので、開門時間や閉門時間は特にないようでいつでも通れるようです。

清水門から北の丸公園に入ると吉田茂像や科学技術館が至近にあります。

枡形の内部です。
北の丸は三卿家の清水家と田安家が東西二分して所有していました。
清水家の名前の由来は清水門からきています。

武道館が近くにある田安門と比べると人影も少なく、ちょっと寂れた感じがしています。

・田安門

田安門は北の丸の北端にある門で、高麗門と渡櫓門の二重構造の枡形門です。
北の丸造営前に、田安門付近に田安大明神があっため名づけられました。
昭和36年に国の重要文化財に指定されています。

田安門をくぐるとすぐに日本武道館があります。

北の丸は、三卿の田安徳川家と清水徳川家が東西を二分して所有していました。
それぞれの家名も門の名前が由来です。

渡り櫓門の南側階段があり昇っていくと

弥生慰霊堂があります。

枡形の中から屋根が少し見えてます。

田安門前には靖国神社があります。

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